長篠の戦い

先日、ギルド講師の「名城ハンター」岩本さんと共に長篠城、そして設楽原古戦場を見に行ってきました。

以下、感想と考察を踏まえた私見です(あくまでも私見です^_^)

歴史好き、戦国好きなら高名な「長篠の戦い」。

何が有名って、僕の学生時代、歴史の教科書にも出ていたように(今はどうなんでしょう?)一番の特徴は「鉄砲vs騎馬」。
そう「新兵器vs旧兵器」と言い換えてもいい革新的な戦いがあった!みたいな書き方をしてあったように思います。

20年ほど前にまだ殺陣もやっていない、馬にも触れた事がない時分に当時の彼女をデートがてら見物に連れて行った、という思い出はおいといて^_^

『戦国最強と言われた武田信玄の息子、勝頼率いる武田騎馬軍団に対して「鉄砲」という新兵器を用いた新興の織田信長率いる織田軍団が、馬止めの柵とその前にある川を盾にして、馬の機動力を武器に突進してくる騎馬隊をバンバン鉄砲で撃ちまくって勝利した』

というような書き方がされてあったと思うんですが、

それは無いな!

と確信しました。(あくまでも個人的な見解です)

超えられないです、川。
届かないです、あの距離。
そこまで馬鹿じゃないです勝頼。

騎馬隊の前の第一関門の川、川幅3メートルほどの小川ですが、馬乗りとしては、馬の脚が止まるのは間違いなく、一番の武器であるスピードが減殺されるのは間違いないです。

続いて距離。
馬防柵(馬どめの柵です。)に縄をかけ、馬のパワーで柵を引きずり倒すのが定石だとおもうのですが、馬防柵から突撃開始とされる森までの距離がとても短く、森から出撃する馬のスピードが乗り切る前に、狙い撃ちされるでしょう。

そして武田勝頼。
実は先代の武田信玄の領地よりも大きい版図を築いた息子の勝頼、「新旧家臣団の軋轢がある」や「偉大な先代の陰に怯え、功を焦っていた」など
言われていますが、武田家も多くはないとはいえ鉄砲を保有しており、その与える影響を把握していたともいえる状況プラス、自軍より多数であり、しかも川と柵を盾にしている敵軍に対して、無謀に突撃をする指揮官はいないと思います。

馬乗り、殺陣師から見た歴史の真実。
信じるか信じないかはあなた次第です(笑笑)